インターネットに長くいると自分のやりたいことと競合する人、なおかつ自分よりはるかに手際よく、技量も上で高みにいる人なんていうのはいくらでも見つかる。
そんなことを気にしていてはしょうがないという諦観をするのは簡単でないから自尊心とか承認欲求とか妬み嫉みに振り回される。
いやそんなことはわかってる、なんてことが本題ではなくて。
例えば自分は文章を書くのは好きだ。一方で物心ついてこのかた画力はまったくない。好んで触れてこなかった、練習してこなかったというのが大きいが、たぶん才能はないんじゃないかと思う。そう思うことは他にもいろいろある。
努力してみようとしてこなかったわけではないものの、飽き性もあるのか熱意がそこまでなかったのか、実になったことはないような。なんか”これ”を好きでやってて自慢できます!ということがあるというのを諦めたわけでもないけど、今は特に何もできないのはそれまでのことなので。あくまで今は。
だから自分ができないことをできる人はすごいなーと思ってついったーでも見ている。
受け手の立場でも十分満足しているから?
張り合うほどのものもないから?
どうであれ自分の感性が満足しているのと単純にすごいものや人をすごいと思えればそれでいいかんじだからだろうか。そこは素直でいれればいいと思う。変にひねくれていたくないし、ある日突然触発されてなんかやる気になるかもしれないから。
ほんとに絵を描ける人も楽器できる人も自分にできないことやってる人って神なんすよ、ぱねぇっす。
その意味ではネットもSNSもいろんな人が見つかるから楽しい。他人の才能に邪な気持ちがムラっとする瞬間がないと言えば嘘だが、自分の中から出てこないものを見せてくれる人を見るのは好きだ。
今日も見つけた、あなたが神か。崇めさせてもらいたいですありがとう。