健康診断の結果が帰ってきてまああまりよろしくない結果であり。
くそおデブというわけでもないが昨冬をピークに割合ぱっつんぱっつんになったので食事量もコントロールして、間食もしなくなってゆるやかに痩せてきたから多少はいいかと思ってたけど内分泌系はそんな変わってないご様子。
最近調子いいなと思っていたのはメンタルが調子いいだけで錯覚だったらしい。
たぶん夜更かしして寝不足だとか朝ごはん抜いてるのもあるだろう。家系的には高血圧とコレステロールが怪しいのでと思っていたが、結果を見れば瞭然で怪しいどころではなく危険ですらある。
一般的に30代も半ばになればそろそろしぬのを見据えなければなくらいの気持ちでいたが、実際のところは健康をどうにかしておきたいと思っている。仕事辞めたら健康になるかもしれない。世の中おおかたの人間はそういうかんじじゃないか。
さて本題。
およそ頑強とは言えない自分の休息や健康維持に時間を費やすと可処分時間(この言いまわしなんか嫌い)が減っていくので、思う以上に悲しいのは想像するほどはあとどれくらいも読書も勉強も思うようにはできないだろうということ。
余暇を最大化するために睡眠を削るという選択肢が利きづらくなっていることを自覚すると、気の迷いであとなにも全然出来なくなるような気がして思いの外滅入ってくる。
好きなことする時間があるだけ贅沢では?と言われたら「はあ、すみません」としか返すほかないものの、お金で時間を買いたいと思ってしまう。お金があればという話にしても今はそうじゃない。そうはならんかった。
いくつかの不都合と不可逆な失敗のうえで今のところ不自由と不全をきたしているのは自分のせい以外なんとも言えないし、悪態を思い浮かべてみても後悔してもなんともならない。自分以外の世の中の人は随分上手に生きているように見えると”わざと”思っても実相を知ることはないし考えてもしょうがないし、有限性に自分を合せていくほかはない。
使える時間はそれ以上伸びはしないのだから。スキマ時間を使ってシステマチックにやるような「勉強」みたいなことをしても精神的に充足はしないだろう。そういうやつじゃない。
今年も新しくやりたいこといくつか思いついた。これからも興味を発見して思いつくだろう。でも全部はできない。世の中にあるものと何かのタイミングでつながるせんすおぶわんだー!(たぶん誤用)な瞬間がこれからもあるだろうというめちゃめちゃ前向きの期待と、自分の不能感や厭世で後ろ向きな部分が同居しているから最近よくわからなくなっている。
最終的に自分が勝手にしていることの枠からは出ないから、生きようが行き詰まろうが他人には関係のないことだし、仕事しないで遊んで暮らしたいのかみたいな誹りを受けることになりそうなのであまりデカデカと主張することでもない。
例えば社会性のあることやマネタイズできることに昇華できればいいのか。それも苦手な部類になるし、商才や勝負勘みたいものがある賢さとは無縁だなと思うんだけど。ままならない。
社会との向き合い方についてはほとんど無意識化したいくつかの思い込みが根本の思考や行動を阻害している。メタ的に考えて"外しても差し支えない"思考の枠組みはいくつかあるし、行動のテコ入れとしてはこだわることではなくてどっちでもいいことにすれば障害でなくなることも。自分も人並みの不合理な心情を抱えているし、それは客観視すると笑ってしまうが、お気持ちとしてはいろいろ避けたいことがあるわけですよね。
細かく書いても「おまえそれは何」と思われること必至なので濁しておくことにしても、他人の話でも世事のあれこれから類推できることでも人間としての余計な想像力が嫌なことを先取りしてしまうわけで。なんかやっぱり嫌だよなということをたくさん考えてしまう。
大人だから関係ないように振る舞えば何でも出来そうなのに、出来ないのが不合理と思う。出会う人間や起きる出来事がほとんど嫌なものとは限らないのに、ネット上で可視化された嫌なものを見すぎているせいか。
中途半端な成り切れなさという意味では社会人であることに人格を預けてないことと似てるかもしれない。だんだん白々しく思えてくることを無視できればあるいはね。
その点ではやっぱり、賢くない。
要領良くやってそうに見える人がうらやましい。と思う一方で努力抜きでそういう人になったわけではあるまいなあというのも考える。
自分がアクターでなければなんとでも言えるだけのことで、さっきの話に戻れば思い込みでガードしてるところを捨てて何したらいいか、どこで内面の諦めをつけるべきかも理解はできている。
何かやってるように見えていれば多少世の中にも居場所ができるのだろう。自分は他人から見えていないというだけのように思う。