妄々録拾穂抄

MowMowしている

書いて考えるのが近道

気持ちや思考を内面にとどめておいても自分の中でぐるぐるまわっているだけで、実はなにも理解できていないというのがほとんどだ。書くことで明確にしていることが大きい。自分から切り離す作業と言ってもいい。

書き出してみたら想像していたより大したことじゃない、という経験はよくある。

すごいことを考えていたつもりでも文章にして読み返したらめっちゃ陳腐で考え足らずというやつ。はずかし。

悩みは書き出すべし、という教訓はそれ。

考えを言語化して整理したら突破口が見つかったり、さっさと考えを変えてしまう気が起きるのも効用じゃないか。メンタルヘルス保全として機能することもあるし。

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自分には突き崩したい心理的障壁がいろいろある。

解決したい悩みのバリアになっているようものとか思考と行動を束縛している思い込みとか。階段、ドア、抜け穴、どんなものをイメージしてもいいが今歩き回っている塀の中にどこか出口を設けるという意味で書くことは導きの糸を与えてくれる。悩みの外はまた別の壁があるかもしれないが。

外へ外へと出て行き続け、束の間解放感を味わい、また閉塞して……を繰り返している。現在根本で自分を蝕んでいる悩みはぜんぜん言語化が進んでいない。絡まっているものが多すぎるのと考えるのがめんどくさすぎる。それでも配管の目詰まりを掃除するようにメンテナンスをしていかないと思考の通りが悪くなる。

でも全部を全部あからさまに書き出せるとは思っていなくて。そんなのネットに全公開してオチも意味もない。偽りなく書いたつもりでもまだ人によく見られたいというウソを書いているときもある。意味ありげなかっこつけた言葉でごまかしたりとか。

基本が不毛で独りよがりでも自分が好転するならなんでもいい。自分には書くことも地味に行動の一つだ。今日もこれを書いてなにか思いついたり考えが変わるかもしれないし、公開してレスポンスもらえるかもしれないし。

恥は書き捨て(原文ママ)ということで今日も。

 

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