妄々録拾穂抄

MowMowしている

ネットのよどみに浮かぶ泡沫は、かつ消えかつ結びてどんぐりの背比べ

私たちは抜きん出たい。コンテンツ提供の場ではどうやって他人との差別化を図るかが永遠の追いかけっこと化す。

Youtuberも人気配信者や伸びる動画の後追いと猿真似になりがちだし、TikTokもついったーの転載や「○○な△△n選」、意味のわからない釣り動画*1のようなものの粗製濫造ばかりになる。ブログもある程度売れ線ジャンルのフォーマットや文法に沿った記事作成が多い。

SNSにおけるバズや動画やブログのアクセスの伸びは何が功を奏するかわからない。成功とは半ば運によるのはほぼ周知のことだ。

何を作るか書くかというのは個人の選択やセンスに依るが、同じものでもタイミングやその時の発見のされ方で全く違う伸びを見せる。理想はコンテンツ自体の唯一無二の独自性でも誰もが特別なモノ・コト、情報を提供できるわけではない。

横文字使えばコモディティ化、言葉を選ばなければ有象無象。大多数の中に埋もれてしまうのは避けられない事態で、逃れたければ手段を選んでいる暇はない。力を入れた制作物もスケベ心でPVを期待してみたところでさっぱりなのは日常。それでも継続しないと浮かび上がらない海の底なので、ラットレースから抜け出すつもりで副業に手をだしてみればまた別のレースに参加しているようなもの。

最短ルートの成功指南というのはどこまで有効なものなんだろうか、という疑問。先頭の成功者が経験とプロセスをノウハウ化して売るのは正しい。自分自身のコンテンツ化が成功して売り物が出来たという意味では。二番手以下もその位置に収まれるようになるべきなのだろうか。グル(導師)としてサロン的なもので囲い込みを行うか。他にも仲間内である程度回してもやってることは世界の広さに比べて狭くてクローズドになっていく。

それも方法なのだが自分にはできそうにない。できないという否定的な反応というよりはスタイルに合わないなというだけ。だだっ広い世の中のどこを狙うかは選択肢が無限にある。ある意味で無限であるがゆえにやれることに頭を使わなくてはならないのがつらい。きっと型にはまったものを量産できる人も利点がある。最初の話にもどるが当たればそれでOKなのだから。自分ウリというのは外れたときにダメージが大きい。

ここらで考えるのをやめる。

自分は適当だ。フォーマットにはめてみたりしてもつまらなくなって飽きる。労少なくて益多しだといいのだろうが、いわば無駄なものを生産し続けている。生産する趣味という意味ではその行為自体に自分の充足感を見出してるので、一日に何件も記事を書いているのは勢いとか衝動に任せた即興のようなものだと言っていい。そりゃ何も考えてない。

とりあえず意地でも書き続けてやるかというのは今のところ意識してるのでそれだけは外さずにいる。ただそれも先のことはわからない。人間は飽きるので。

 

scientiapotentiaest.hatenablog.jp

アイディアは時間に任せよ、書きながら考えよ、思いつきは不定形でこねてるうちに落ち着き方が変わる。労多く特に益なし。隙あらばの自分語りと愚痴の生産尚良し。茫々としたネットの大海に一滴インクを落としたところで何も変わらない。だからじゃぶじゃぶ流してやる。思考を垂れ流した無意味の創造が一番捗る。

*1:フィッシングの動画ではない。