30をいくらか越えても生きるのが下手。
下手というか、社会との交通が上手くいってない。うつでしんでた頃からの感覚というか、あんまり社会に参与できてない感覚をずっと引きずってる。個人対個人の関係以上の公の世渡りや身の置き方。仕事をし生活をするための社会生活。
居場所がない、疎外感、どんなふうに形容してもそれっぽく言い表すことはできる。そういうのを感じて浮いてるような気がして、毎日内心で不安や白々しさが盛り上がったり盛り下がったり。
働き出したら解消するものだと思っていた。思いながら10年くらい過ぎた。表向き普通に働いているし生活もしている。ただいまいち職場の一員だという気持ちを持ちきれてないし、いつまでも社会人になりきれず社会に包摂されず、ともすれば容易に落伍し生活できなくなるのではと思わないでもない。*1
いやいや不信感持ちすぎ。とはいえ徒労感、不能感、厭世感……ナントカカントカが多い。たぶんこれはまとめて言ってしまうと学習性無力感なんだ。ぽつーんとした個人対社会という構図で理由もなく世の中に押しつぶされそうで。しかし実際なんかしたわけじゃないのでそんなことは起きない。
生きることはなんとかなるものだとわかっていても、思うに自分の能力には疑問符しかつかない。意図してなかった失敗の積み上がりで非常に不安が溜まっていく。自分には誰もが暗に了解しているプロトコルで缺落している部分があって、それが埋められないからこういう事態が起きるのだ、という感覚や疑念が仕事でもプライベートでも拭えなかった。
杞憂で認知の歪みだ。理性的には了解できる。しかし世の中これだけ情報があって各種対処法なんでもありそうなのにまあ現状変更しづらいというかやっぱりなりきれないというか。世渡りしていく生存力が低い。
気持ちのうえではまだいろいろやれると思うし、試したいこともあるから現状に押しつぶされてるわけではない。それは腐っていないところだが、上手くいった気持ちは穴開きバケツのごとくすぐ流れていって消えてしまい、悪いことは目詰りしていつまでも溜まり込んでいく。
最近"なにかができる"という感覚が薄れつつある。自分に何か変化があったのだろうか?能力が落ちたとか変質してしまったとか、それはないはず。たぶんやってできないことはない、試してみてだめだったということもない。
現実に対する自分の効力が信じられなくなっているから、やってもいないその先を想像して意気消沈した挙げ句に、現状が変化することに期待できてないところがある。何かが成功するとか成果があがるとか実感としてよくわからなくなっていて。そのくせ失敗したことのダメージは蓄積して、一事が万事みたいな先行き不安を抱いてしまう。
失敗する→自分はだめだ→自分はだめから失敗するの円環が続くことで心理的側面の足かせが大きくなっていく。予言の自己成就とか自動思考的なもので、実際の行動に先回りして結果を曲げようとする固定観念になってしまう。一方で思えばそこが急所だとわかっている。それならそこのリンクを何処かで切断してやって解消すればいいだけなのもわかる。
そう、だからそれをやろうとしている。失敗が積み上がるのと同様に成功も積み上げられる。実際の成果と心理的な話が混在することになるが、何が成功かというのは自分で勝手に決めてしまっていい。理想としては成功体験*2を自覚する頻度が高くなれば固定的でマイナスな自動思考みたいなものは消えていくはず。
というのを何度を試みては挫折してるのも事実。御存知の通り人間すぐ折れる。無根拠にポジティブ~イェイイェイともいかない。たぶんこれはこれからも続く。しょうがないのはこれが日々の浮き沈みに影響されているからまったく消えることがないということ。
心の中や頭の中のことはこんな感じでぐるぐると、自分の中だけの循環で繋がったり壊れたり、上昇したり下降したり、螺旋状に渦巻いていろいろあるのだ。