役に立つか立たないかわからないが自分の経験を書こう。
自分の一番最初のうつは20代に入ったときに始まる。大学はギリギリ卒業したが就職は出来なかった。それから療養に3年ほど時間を要している。振り返るともう10年少し前のことになるが一応何をしていたか書いてみたい。
まず前提は自分を守ること、生き残ること。安全な状態に自分を置けていればいいのだが、そうすれば余計なことに脳のリソースを割かなくて済む。
個人差が大きくて何が功を奏するかというのは人によって違うというのもわかる。自分も標準的な治療でよくなったのかもしれないし、うまく上向かせる要因があったのかもしれない。
実際はるかに長々と患う人もいる。寛解後も完全に元には戻らないこともある。自分もその部類だ。
とりあえず一番最初の大きな波は乗り切ったし今はある程度よろしくやっている。
1.まじめに病院に通い、薬を飲み続ける
拍子抜け?
いや、まず当たり前だが自分勝手な判断で都合の良し悪しを決めず服薬をまじめに続けることだ。
脳内物質の異常で心理状態及び脳・全身機能に変調をきたしているのだから薬に頼るのが第一の選択。
実はここが一番難度が高い可能性がある。
医者が合わない、薬が合わない、そういう悩みは発生してくる。だからと言って薬をのむことに意味がなくなってくるわけではない。合わないというなら相談が必要だしセカンドオピニオンも重要だ。機械的に薬を出すことしかしない医者もいるし、ある程度生活状態を聞いて治療の指針を出してくれる医者もいる。自分は2度目以降の不調のときは最初のところから病院を変えた。
そして飲み続けてもよくならないのでは、という疑念。劇的な改善を望んでもはっきり自覚できるような状態にならないこともある。またそこで意味がないと思いがちになる。
でも少し待ってほしい、病気の間は判断力に悪影響が出ていることを考えたほうがいい。もし協力してくれる人がいるなら服薬管理をお願いしてもいい。自分の場合は他のことは自由に放っておいてもらったが朝は叩き起こされて薬だけは飲まされた。それがいいということもあるはず。
2.日記を書く
大学のときから日々手書きの日記をつけていた。
内心に溜まりがちなものを支離滅裂でも書き出してしまうというのは気持ちの排泄的な意味でよかったかもしれない。
ブログのような公開形式だとどうなのかというと悪くはないかもしれないが自分ならやらないと思う。公開すると他人の反応が気になりはじめる。コメントをされるのが気になるかもしれない。
話を聞いてもらいたい、境遇を認めてもらいたいという気持ちもあるだろうが変な色気が出てくる気もする。割り切って書いて放置してしまえる人はそれでいいと思う。
自分の場合は全部隠さず言葉も選ばず出し切ってしまえることが大事だった。だから手書きで自分しか見ない紙の日記。誰に憚ることもなく何を好きに書いてもいい。書いてしまえばあとは自分から切り離したこととして置いておける。
3.内観
認知行動療法の真似事のようなもの。
自分は考えることが好きだった。うつになったときもなぜという気持ちと付き合った。日々やる気もでなくて動けもしない中で考えることだけはめんどくさくならなかったので。
一般にはうつになったとき、自分に降りかかるあらゆることを気にして自問自答するのは危険だ。その反芻で無限に落ち込んでダメージが増す可能性がある。
自分の場合は嫌な気分のとき、落ち込んだとき、状況を反復しながら下へ下へ自分の心の底へ降りていくイメージ。それから適当なところで自分と気分を切り離す。これはちょっと言葉で説明はしづらい。
割り切ってしまえば自分自身とその時々の感情は別物だ。後生大事に嫌な気持ちに付き合ってやる義理はない。病的な状態で湧いてくるネガティブな感情なんて言うまでもない。感情のコントロールなんて堅く考える必要はないと思う。自分の中のもう一人を想像して、今はちょっと付き合うのやめとくわくらいで突き放してるかんじでよくないだろうか。
4.趣味を楽しむ
自分の場合は読書や映画、アニメその他諸々。
気晴らしができたり気持ちが上向けるものならなんでもいい。他人と比較する必要がないものがいい。そういう気にならなければ別に触れなくてもいいし。
あいにく脳を使うのはつかれたので読書の量は減ったが映像コンテンツなら受動的に楽しめた。ネットにいるときは当時はニコ動。
あとはTwitterが入ってきて2,3年経ったころだったので趣味の人たちと自由に付き合えたのもよかった。人間関係に悩む必要がなければ他人と触れ合うのも大事だろう。逆に今ならちょっと流れ込んでくる世間のごちゃごちゃや他人のキラキラした日常が余計なものすぎてマイナスに感じていたと思う。
以上4つ書き出してみた。と言っても意識的にやってましたーということではなく、何もやる気も出ない実際動けない日々のなかでなんとかやってたのがこういうことというだけだ。