妄々録拾穂抄

MowMowしている

"自分"とは都合のいい実験対象である

科学者が自分自身を実験台にしたい気持ち、わかる。観察対象として自分が変化していくのはなんかわくわくする。

そんな感じで自己改造も楽しめたらいいなと思ってたときがあったんですね。

たとえば筋トレの成果も目に見えて変化がわかるように写真で記録を残していったら見返しておお~!と思うでしょ。人間ってすぐ忘れるから*1

記録装置としての自分の記憶なんてたいしたことはないですよ、書き換えも勝手にやらかすし。外部に出力できるものはなるべく出しておいたほうが振り返りにも楽だし、人間は視覚の生き物でもあるから目に見えるというのはけっこうでっかいポイント。

 

日々何かができるようになるのを自覚できて、成果物ポイントを積み上げるのと一緒に気分もよければそれに越したことはない。脳汁を出したい。

取り巻く状況の大きな変化について、人間の性格上好ましく思う人間・思わない人間、この傾向は大まかに分けられる。これは遺伝的な影響で志向することの違いが出てくるらしい。端的には狩猟か農耕かの違いとかそんなんである。

自分も出来れば静かに穏やかにひとところで暮らしたい気持ちが大きいのだが、突発的にどっかに動いていきたいなとか思いつきで何かしたいときがある。この手の傾向は単純な二分法ではなくて、人間にはどちらも備わっていてたぶんいろんなファクターによって行動を起こすところの違いが現れるのではないかと思う。

話を戻すと、自分の胸三寸で決められる程度のことで自分にしか影響を及ぼさないくらいの小さなことでなら、何かしら行動を起こしても大した責任の発生や波風が立つことはない。その結果で変化が生じることにニヤニヤして楽しみを持つのも個人の楽しみとしていいんじゃないか。どうですか。

と、日頃思ったりする。ただ人間は怠惰なので物事は気まぐれにしか続かない。淀みに浮かぶうたかた。意志力とか習慣の話はいくらしてもし足りない。

 

*1:マンデラエフェクトみたいなのも起きるし。ある種の誤認だけど自分の記憶への強い信頼で疑わない人もいる。