妄々録拾穂抄

MowMowしている

自分を語ることの気まずさ

その気になればなんでも書けるので自分のことはネタにしやすい。

とはいえ自分の経験などは周りを見に行けばたいしたことでもないように思えてくる。

個人的な病気の経験や悩みについては自分だけのしんどさがあって、日々ウンウン言っていたりする。

今は言いやすい雰囲気になってるのでみんな自分もうこうなんだ、と書くしそれぞれを比較するのは相身互いなところもあるので、わざわざ他人のところに自分のほうがしんどいなどとカチコミに行くのは無粋だろう。

自分であればもうすでに干支一回り以上の付き合いになるので、折り合いつつも新しい悩みが生まれてくるのを知力でなんとか乗り越えるかといろいろ考量して書くわけである。

結局は内面で試行錯誤してるものを出してるだけだから他人を啓発するようなことを書けるわけではない。そんなものが悩みなんかーい、と見られるかもしれないが自分では意外と躓きの石だったりする。

頭の中で考えていることは基本的に繋がってるようで繋がっていない。書き出してみるとよくわかる。頭と尻尾でそれぞれ考えてることがあってそれを繋いでいる思考のラインがあったとする。自分の中では考え抜いたり変えがたい話の流れと思っていても言葉にし直すと全然話が道筋通りではなくて、最初に考えていた結論にたどり着かないことがある。よく考えなおすと尻尾の結論は要らないと気がついたりする。

自分の中で整然としてると思っていることは意外と歪んでいる。

だから書いてしまって表に出すと拍子抜けするほどどうでもいいときがあって、それでも恥ずかしいが書いたものはそのまま公開してしまう。

思考過程は結構鬱々だ。凝り固まった信念もある。間違った認知の鎖は意外と硬い。ネガティブになりすぎないよう解消作業をしているつもりだが、後ろ向きで歩いているようなもので効率は悪い。

まあチラ裏でやれと言われるようなことであるがそこはちょっと許されたいなと思う。