2月3日のTwitterは、いろいろなアカウントの一斉凍結で騒がしいことになっている。
昨日は外部サービスとの連携に関して無料APIの提供が終わる旨の発表があった。悪質場botなどの締め出し目的だとか言われるが他の一般ユーザーも巻き込まれて迷惑被っているので、変革の一端と言っても長年使っているユーザーの間では混乱をきたしているのに変わりはない。
まだこの先どうなるのかわからないなというのと、今まで経営状態が良好ではなかった手前ほんとに立て直しになるかという不明確さ。一旦大掛かりにスクラップアンドビルドされて生まれ変わるのか、手を尽くしても巨体を維持できずに倒れてしまうのか。
付き合いとしては15年ほどになるのでだいぶ古株のうちに入り、生活インフラみたいなものと化している中でゆるくゆるくいろんな人とつながっているので、いずれ来るだろう終わりについてもそうなったときどうなのか考えがよぎる。
情報や駄言が飛び交い、たまに全く自分が属しているところとは別の層からの発言も届いてくる。興味に従って独り言をつぶやいている中でたまたま反応があったりなかったり、自分も同じようにしたり、明確な目的があって集まっている仲間内ではないからこそコミュニケーションコストの低さに甘えながら好き勝手にしながら誰かとガヤガヤしているのが楽しかった。
雑多な話題が混淆する生態系の多様さという意味で良いところも悪いところもあって、そのうえでオタクとしては楽しめる場所であったのでこれがなくなると思うと途方に暮れるのが正直な心情になる。
今どきはいろんなSNSが乱立していて代替的な場所ならなんでもありとは思うものの、Twitterの持つカオスさみたいなものは他の場所だと得られない気がする。
私企業のサービスだからして、収益構造の効率化とか安定化にはテコ入れが必要なのは理解していて、そのせいで居心地が悪くなったりというのはユーザーとしては快くはない。ただ、自分がメインストリームのユーザー層ではないというのも考慮は必要。キラキラなところで生きていけない石の下のダンゴムシみたいなものだから、ちょうちょにはなれないの。
そんな具合でもしも、今後Twitterが終わる日が、ほんとにサービスが終わる日が来たときに今つながっている人たちとはもう関わり合うこともなくなるのかなとさびしく思う。人との出会い別れは世の常としても、惜しいものは惜しいが、いざ連絡先を交換しよう!とかするほどの仲でもないしそれでも疎遠になるかもしれないし、結局ゆるさに担保されていた関係だったのだなと思ったりする。
リアルのつながりとは違う、またこれも違った価値のある人とのつながり方があった。すぐ現実の利益につなげようとする人がいるが、そういうのじゃないじゃんと思うし無駄にした時間があっても自分には救いを与えてくれた。
しかし物事はなるようにしかならないから、無くなるなら無くなるで別の展開がはじまるだけだ。いやいや、まだしんでないしさめざめとするべきでない。
離れる人もいれば留まる人もいて、自分は結局最期まで付き合うことになりそうだがちょっとはまあ他の道も考えるだろう。今からなんとなくみんなで落ち着きそうな場所を探してやれることをしておく。
そんな感じ。