妄々録拾穂抄

MowMowしている

あの場所

 病気でいろんなことが変わった後、この先の人生で望むことの半分は熊本市に住むことになった。

いまの居場所からはだいぶ離れていたしそもそも縁もゆかりもない場所なので困難の多いことだと思ったけど、一度途切れた人生を仕切り直す居場所として望んでみてもいいかもしれないと思った。

西の方に住んでみたい気持ちもあって、訪れてみても個人的にとても気に入った土地になった。そのあといろいろ情報を集めて実際まじめに計画を建てていたのに3年も4年も行動への決断を果たせないままで、自分のごちゃごちゃや周りとの関係のうえで状況はだんだん悪くなって去年は地震もあり私的な困難も増し、望みは望みのまま叶わないほうの道へ進んでいった。

いまも自分は雪国で調子の波と身の回りにあるものに呑まれて喘いでいたりする。住む場所を変えれば劇的になにか人生を変えられるとは思っていないけど少なくともいま閉塞している気持ちは変わるだろうし、自分も自由に選んでよかったんだと思える自信も湧くかもしれない。

まだ望みとしては頭と心の端の方にはあって、時に他のことと一緒にあの街のことを思い起こす。記憶や写真にとどめたままのあの土地のどんなところが変わってしまったかまだ自分の目で見れていない。旅行者として訪れるだけでは足りなくて、やっぱり住んで生きてみたいのだなと思う。

それがこの先叶うのかは自分の意思の問題でもあるけど引き止めるほうの力がどんどん強くなるし、よすがになるものも無くなってしまったから難しさのほうが大きいのはわかっていて。

そうやって現実をわかっているから苦労を度外視した希望でしかないかもと考えながらも、未だぼくは恋をするような気持ちで愛着を育みつづけているのだと思う。

生きていく土地がほしかった、居場所も出来れば。

お行儀よく頭は他人が言いそうなことを考えては自分に意見をしてくるのだけど、気持ちに正直になるとやっぱり熊本の人間になりたかった。